二十一世紀をむかえてひとりひとりが素敵な生き方をしたい。
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兼好から元気をもらう!「花の種、本の種」第6回
 
  鎌倉時代から現代へのメッセージ
『徒然草』から元気をもらおう

「花の種、本の種」
第6回(138段)





 先日、紅葉をみようと、友人と近くの公園に行ったが、紅葉は
すっかり落葉になっており、ところどころあざやかな紅色を残した
葉を賞でて、もみじの名残りを楽しんだのだった。


銀杏の落葉に、もみじの枯葉が重なりあって、
うづたかく積もり、それを両手ですくってみると
何だかほのかに落葉のやさしい匂いがして
それも又趣のあるものだった。


さて、『徒然草』の「百三十八段」には

「古き歌の事書きに、

『枯れたる葵に
挿(さ)してつかわしける』

とも侍り。


枕草子にも

『こし方の恋しきこと、枯れたる葵』


と書けるこそ、いみじくなつかしう

思い寄(よ)りたれ。


をのれと枯るるだにこそあるを、

なごりなく、いかが取り持つべき」




とある。(古くによまれた歌の詞書(ことばがき)に、
「枯れた葵にさしておやりになった歌」とある。
枕草子にも、

「すぎさった時の恋しいのは、枯れた葵」
と書いたのも
たいそうなつかしく
気付いたものだ。
自身枯れるだけでもなごり惜しいのに、

なごりおしげもなくどうして取り捨てられようか)


徒然草のこの段を読んでから、
私は枯れたものに対していとおしいと思うようになったし、
咲き誇る花と同じように枯れ始めた花や、散りしいた花びらにも、
美しさを感じるようになった。


むしろそういう落葉や落花のさまに美しさを感じる感性を大事にしたいと思うようになった。


「なごりなく、いかが取り持つべき」という兼好の思いには、
いのちは枯れておしまいではないという見方があるし、
万物いずれもいのちには果てがある、そのことに対してのいとおしさがあるように思う。


又それは、歌人兼好としての自然を見るときの独特の感性でもあったろう。


このごろは老いも若きも花のさかりを賞で、
それを写してメールで送信しあうことがふつうになったが、
さて兼好に携帯をもたせたら何を写すだろうか。
枯れ枯れになって風にふかれ、土の面(おもて)を舞い走る
落葉のさまだろうか。


いやいや、彼は携帯で写すよりも、手で触れ眼で見て、
それを和歌に詠んで相手に送るのではないだろうか。
一枚の枯れ葉のもみじを和歌に添えて。


 枯れたもの、しおれたものを美しいと思う感性を、
なごりなく、ただただ取り捨ててゆくのは惜しいと思う。
(心のガーデニング編集人:六百田麗子)


かれは



(テキストは岩波書店の『新日本古典文学大系39』 。久保田淳校注)

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| 『徒然草』を読んで元気をもらおう!! | 13:45 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
花の種、本の種 第5回 「兼好から元気をもらう。」
 
  鎌倉時代から現代へのメッセージ
『徒然草』から元気をもらおう



「花の種、本の種」
第5回
(第80段)




 『徒然草』の第八十段は兼好の基本的な精神の姿勢が
しっかりと出ている。


彼は平安時代の「もののあはれ」に対しては非常に傾倒するが、
武を好むということに対しては真底嫌悪している。


 「法師のみにあらず、

上達部(かんだちめ)、殿上人(てんじょうびと)、


上(かみ)ざままで、をしなべて武を好む人多かり」


と書き、
武士が台頭し、人が人を殺し合うことで権力を握っていく有様に、
兼好は苦々しい思いで俗世から身をひいたのではないだろうか。

 アメリカのオバマ大統領はアフガニスタン戦争への
3万人増派を行うと十二月一日に演説した。
それと共に2011年までに米軍の撤退を開始するという。
新聞によると、米国の兵士の自殺がふえ、戦場から帰ってきた兵士は
PTSD(Post-traumatic stress disorder/心的外傷後ストレス障害)に苦しむという。
兵士のみならず、その家族もまた、精神に異常をきたした人間をかかえ苦しむのである。

人が人を殺すということはいかに戦争であろうとも
心を損なう行為であろう。

マイケル・ムーア監督もオバマ大統領の政策を支持することに変わりはないが、
アフガンへの兵3万人増派には反対だといっている。

米国内では、アフガン戦争は「もう一つのベトナム戦争」
いわれ始め、泥沼化した戦いに、戦う価値がないという国民が
大半をしめるそうだ。

 兼好は、
「生けらむほどは武に誇るべからず。

人倫に遠く、禽獣に近き振舞ひ、

その家にあらずは好みて

益なきことなり」


と書いている。(生きている間は武に誇るべきではない。人間の道から遠く、畜生道に近い振舞であって、武家でなくては好んでも益のないことである。)
 ここで兼好が、“戦いが人倫に遠く、禽獣に近い振舞”といっていることに注目したい。
畜生道という表現はまさしく戦争の本質をついている。
権力争いをめぐって、いくさがくり返されている鎌倉時代、
兼好ははっきりと自分の姿勢を示して、現実から距離をおき、
出家という形で反抗しているように思う。

武を好むことを「人倫に遠く、禽獣に近い振舞」と断言した人間が
鎌倉時代にいたということを忘れたくないと思う。(R)


(テキストは岩波書店の『新日本古典文学大系39』 。久保田淳校注)

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| 『徒然草』を読んで元気をもらおう!! | 22:02 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
花の種、本の種 第4回
  鎌倉時代から現代へのメッセージ
『徒然草』から元気をもらおう



「花の種、本の種」
第4回
(序段 その2)



「つれづれなるままに、日ぐらし


硯に向かひて、


心にうつりゆくよしなしごとを


そこはかとなく書き付くれば、


あやしうこそ物狂おしけれ。(序段)」






 今年の一年は政権も変わり日本の社会は、すこしずつ地殻変動をして
国民が生きやすいと感じられる方向に動いているように思う。
急激な好転は望めなくても、一歩一歩生きやすい社会に変わる兆しが見えている。


現代フランス思想家の内田 樹(うちだ たつる)さん
精神科医の春日 武彦さんとの対談からなる
『健全な肉体に狂気は宿るー生きづらさの正体』は角川Oneテーマ21の新書だが、
私にとって今年一番の心のよりどころになった本であった。

健全な肉体に狂気は宿る



一冊の本をこれほどくり返し読んだことはかつてない。
そこに「行き止まり状況を打開して、そこから脱出するための手がかりというのは
実は自分の中にしかないんです。自分の中にあるほんとうに個性的な部分、
誰にも共有されない部分、誰にもまだ承認されていないような傾向、そういうものしか
最終的には足場には使えないとぼくは思うんです。


その誰にも共有されないもの、自分が他ならぬこのような自分であることを決定づけるような特異点を、何とかして主題化・言語化することで、

自分がこの世界に存在することの必然性みたいなもの、運命的なものを感知できる。
そのときにはじめてそういう行き止まり状態から出られると思うんです」という
内田さんの言葉がある。

ここを読んだとき、はたとひらめいたのは、
兼好も又ある種の「行き止まり状態」に陥っていたのではないだろうかという思いである。

二十代では北面(ほくめん)の武士として仕え、三十代に出家。
そののちは比叡山の横川(よかわ)や修学院に隠棲し、
『徒然草』
を書いているが、

「つれづれなるままに日ぐらし硯に向かひて」、心にうかぶあれこれを
かきつづるという酔狂なことをやり続けたというのは、
何か自分の中の閉塞感を言葉にせずにはおれない衝動、
内田さん流にいえば今の「行き止まり状況」を何とか打破したい
という強い思いに動かされて書き始めたように思う。

その彼の「行き止まり状況」を生んだ背景が何であったのかも、
すこしずつときほぐしていきたい。
 現代人の「行き止まり状況」を打破する一つの手だてを兼好は
示してくれているように思う。

現代が生きづらいとただ嘆くだけでなく、

その生きづらさを主題化・言語化していくことで、
ふっと生きやすくなるのではないか。

兼好のそこはかとなく硯にむかい書きつける姿勢に、

時代の生きづらさをぬけだす為の

彼なりの生き方が示されているように感じるのだ。(R)





(テキストは岩波書店の『新日本古典文学大系39』 。久保田淳校注)

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| 『徒然草』を読んで元気をもらおう!! | 23:04 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「花の種、本の種」第3回
 鎌倉時代から現代へのメッセージ『徒然草』から元気をもらおう



「花の種、本の種」
第3回



「つれづれなるままに、日ぐらし


硯に向かひて、


心にうつりゆくよしなしごとを


そこはかとなく書き付くれば、


あやしうこそ物狂おしけれ。(序段)」






 『徒然草』の序段は、いままで何度となく口ずさんできたが、
読めば読むほど兼好の書くという姿勢を好ましく思うのである。


何か特別なことを書こうと意気ごんでいるわけでもない。
まあ、ひまだから、自分の心に思いうかんだことを
あれこれ書きつけてみようと
いうごくごく肩の力を抜いたものである。


しかしその肩の力を抜いて書いた文章が、段を重ねるごとに
兼好の日ごろ思っていること、考えていることを
整理していき、後世の人を圧倒する思想を
醸成(じょうせい)しているのに
気づかされる。

 今、二十年以上前に書かれた外山滋比古さんの『思考の整理学』(筑摩書房)が
再び脚光を浴びているが、その中に「とにかく書いてみる」
という章がある。

思考の整理学


「卒業論文などを書く時に、もう少し想を練らなくては書き出すことは出来ないと、

なかなか書き出す一歩をためらっている学生に、筆者は
『とにかく書いてごらんなさい』と助言することにしている」
と書いている。


「気軽に書いてみればいい、あまり大論文を書こうと気負わないことである。
いいものを書こうという欲を出さない方がいい。書いているうちに、
頭の中に筋道がたってくる。
あらかじめ考えてもいなかったことが書いていくうちに、
ふと頭にうかんでくることもある。
書くことによって思考の整理がすすむのだ。」


 たぶん兼好もつれづれなるままに日々文章をかきつづけることで、
思考の整理をしたのではないだろうか。
外山さん流の「とにかく書いてごらんなさい」という教えを
忠実に守ったような気がする。


『徒然草』の序論を読むと、「書く」ことに対しての身がまえが抜けていて、読む方も
肩の力がふうと抜けていく。それが気持いい。ただし、日ぐらし硯に向かうのは、
書く以上に強い意志の力がいるというのも確かである。(R)





(テキストは岩波書店の『新日本古典文学大系39』 。久保田淳校注)徒然草
| 『徒然草』を読んで元気をもらおう!! | 20:37 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
「花の種、本の種」第二回〜日替り連載『徒然草』を読んで元気をもらおう!!
 
『徒然草』をテーマに、「花の種、本の種」というタイトルで
できれば日替りを目標に文章をブログに載せていきたいと思っています。
学生の頃に触れた『徒然草』の世界に入って、一緒に元気をもらいましょう。



「花の種、本の種」
第二回



「なにがしとかやいひし世捨て人の、



『この世のほだし持たらぬ身に、




ただ空のなごりのみぞおしき』




と言ひしこそ、まことにさも覚えぬべけれ。」
(第二十段)







 十一月十七日(火)から4回にわけて毎日新聞の朝刊に
「がんを生きる ここに在る幸福」が連載された。



毎日新聞出版局の三輪晴美さん(45)の体験記事で、
乳がんに気づいたときは既に末期だったが、
抗がん剤治療をうけて一年、職場に復帰するまでの彼女の
率直な思いがつづられたものだった。



その文章の中にがんの告知をうけて最初に思ったこと
それは、「世界は何て美しいんだろう」ということだった
と書いてあった。



絶望でもない、悲しみでもない、
世界が美しいと思えたということに
私は何か深く感じるものがあった。



いのちの限りが見えた時に人は、こんなふうに思うのかと
しみじみと胸に迫るものがあったのである。



 二十段に書かれた「なにがしとかいう世捨て人」
のいったこともこのような感慨に通じるように思える。



命の瀬戸際に立ってこの世の何がなごり惜しいのかときかれたとき、
ゆっくりとひとつずつ消していってあとに残るのは何だろう。



この世捨て人には
妻子も財産も「ほだし」といえるものはなかったから
空の様子だけがなごり惜しいといったのだろうか。



「ほだし」
というのは
手枷(てかせ)・足枷(あしかせ)となるもの、
人の身の自由を束縛するものの意だが、



「ほだし」
があってもなくても、
いのちの最期は空の様子ばかりがなごり惜しい
ということにならないだろうか。



春夏秋冬、雨の日、風の日、
晴れわたる朝の空、
うす曇りの夕暮れ、



さまざまに色や形をかえる雲、
月や星やお日さまを見上げる眼に、
空はいつもそこにあって、



これほど心を慰めるものはない。




 兼好が空のなごりを惜しいと世捨て人のいったことに
共感したのは彼が歌よみだった
ということにもよるだろうがしかし、
この感覚に私は非常に魅かれるのである。



乳がんを患った三輪さんの
「世界は何て美しいんだろう」
ということばに接したとき、



世をそむけばこそ兼好の眼にも
世界はことのほか
美しく見えたのだろうと感じたのだ。(R)





(テキストは岩波書店の『新日本古典文学大系39』 。久保田淳校注)徒然草





| 『徒然草』を読んで元気をもらおう!! | 13:11 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
「花の種、本の種」〜日替り連載『徒然草』を読んで元気をもらおう!!

今回から、『徒然草』をテーマに、
「花の種、本の種」というタイトルで
できれば日替りを目標に文章をブログに
載せていきたいと思っています。

学生の頃に触れた『徒然草』の世界に入って、
一緒に元気をもらいましょう。



     「花の種、本の種」

        第一回






 『徒然草』に最初に触れたのは高校の古文の時間だったと思う。
その時は古文の授業として接していたので、
おもしろいとかもっと読んでみようと思う事は全くなかった。


ただ『源氏物語』などの女流文学とはすこし色あいを異にして
単純明快な文章に興味をもったことは確かだ。


それから五十年たって、ふと『徒然草』が読みたい、
あの古文のことばに触れたいと思い始め、一段、一段読み始めると、


これが年を重ねていく今の私の不安や恐れなどを少しずつはらってくれるようで
すっかり彼の文章のとりこになった。


とくに出家して、世をそむいた境遇のもとに書かれているので、
人生の後半を生きる今の自分の気持と通じるものがある。


 兼好の人となりを十分に研究して書かなくてはと思うと
いつになって書くか分からなくなるので、
思い立ったときにすぐ書こうと、


台所の食卓を書斎がわりにして、一日一段ずつ読み始めた。
それも乱暴だけれど、序段からではなく、
自分の気に入った段を選んで毎日書いてみようと思い立った。


年を重ねて、仕事が減り、
この世の「中」と「外」を自由に行き来できるいとまのあることをむしろ良しとして、
私に兼好の文章がどう心にひびくのかありのままに書きたいと願った。


 二〇〇九年八月三十日、政権が自民党から民主党にうつり、
世の中が急激に変化し始めた。その変化の渦を見届けつつも、
一方でその渦の外に出て思うこと、考えることを書いてみよう。


それも座禅をするつもりで朝か夕方、
「つれづれなるままに、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく」
書きつけていきたい。


世をそむいても、きっぱりと人を絶つでもなく、
気に入った人とは交わりを続け
かなりきままに閑居を楽しみつつ書いた文章は
かえって今の私には身近に感じられる。


 彼の文章は私にとって
ことばでできた新鮮な食べもののように思えるのだ。
おいしいことばは、身体を元気にしてくれる。


 兼好については何も知らないが、
ただ『徒然草』の各段の文章だけをたよりに
まずは読み始めようと思う。(R)


(テキストは岩波書店の『新日本古典文学大系39』 。久保田淳校注)徒然草
| 『徒然草』を読んで元気をもらおう!! | 13:48 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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